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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)2785号 判決

控訴人・附帯被控訴人

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

土屋東一

牧野広司

被控訴人・附帯控訴人

松永優

右訴訟代理人

石田省三郎

知念幸栄

池宮城紀夫

上間瑞穂

井上正治

青木英五郎

主文

本件控訴及び本件附帯控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人・附帯被控訴人の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人・附帯控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一被控訴人を被告人とする殺人被告事件の経緯

一被控訴人が、昭和四六年一一月一六日、沖縄の刑法による殺人被疑事件により通常逮捕された後、同年一二月八日那覇地方検察庁により同法による殺人被告事件の被告人として那覇地方裁判所に起訴されたこと、右起訴に当つた同地方検察庁検察官検事高江洲歳満作成の起訴記載の公訴事実は、原判決別紙第三記載のとおりであること、右公訴事実について、検察官が、昭和七年二月二五日本件被告事件の第一回公判期日において、弁護人の求釈明に答えて、同別紙第四記載のとおり釈明を行なつたこと、更に検察官は冒頭陳述において、同別紙第五記載のとおり陳述したので、本件殺人被告事件は、被控訴人が、炎の中から山川巡査部長を引きずり出し、その直後、足踏み行為をするなどして殺害行為を行つた、という点を訴因として特定し、起訴されたものであることが明確となつたこと、これに対し、被控訴人は、捜査段階から一貫して、自己の行為は、山川巡査部長の殺害を意図したものではなく、炎に包まれていた山川巡査部長を、消火救出しようとしたものである旨の供述を繰り返し、無実を訴え続けたこと、本件被告事件は、那覇地方裁判所及び福岡高等裁判所那覇支部において審理がなされ、その結果、昭和五一年四月五日、同支部は、被控訴人の主張を認め、被控訴人の行為は、山川巡査部長に対する残虐な殺害行為とは正反対の、率先した救助行為としての消火行為と目するのが合理的である旨判示して、被控訴人に対し無罪の判決を言渡し、右判決は上告されることなく、同月二〇日確定したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  昭和四六年一一月一〇日、那覇市与儀公園において、沖縄県祖国復帰協議会主催の「沖縄返還協定の批准に反対し完全復帰を要求する県民総決起大会」が、数万人の参加者を集めて開催された。その際、午後三時五五分ころ、右大会に参加していた革マル派集団が、大会を警備していた琉球警察部隊に対し火炎びんを投げたことから、警備部隊が、右公園内に入り右革マル派集団を規制しようとしたところ、会場内にいた過激派集団が、警備部隊に投石したり、旗竿で突きかかつたりして攻撃を加えて衝突した。その時、被控訴人は、警備部隊に対し「機動隊粉砕。」「機動隊帰れ。」などと大声で叫んだりした。

2  同日午後四時過ぎころ、右大会参加者らによつて右公園から浦添市字仲西の米国民政府庁舎前までデモ行進が行われ、被控訴人もこれに参加した。途中、過激派集団は、高橋派出所や天久変電所等に火炎びんを投げながら浦添市字勢理客一番地先の勢理客交差点に至り、午後五時四五分ころ、同交差点附近を警備していた琉球警察警備部隊の警察官に対し火炎びんを投げ始め、警察官は、同交差点の北西側にある勢理派出所やトヨタオート沖縄株式会社の方向に退避した。被控訴人は、右交差点内の北寄りに位置してこの様子を見ていた。同警備部隊所屋の山川巡査部長は、火炎びんを投げた過激派の者らを追つて交差点内に入つて来たが、同人らに捕捉され棒で殴打されたり、足で蹴られたりして被控訴人にぶつかるようにそばに近づいた。そこで、被控訴人は、山川巡査部長の右腰のあたりを右足で一回蹴つた(第一行為。その動機、犯意、程度等については後述。)。

3  その後、被控訴人は、右交差点のやや北側の安謝橋電機店附近の前路上に移り、前記勢理客派出所やトヨタオート沖縄株式会社の方向を見ていた。その間山川巡査部長が右交差点内に仰向けに倒れたところ、右過激派集団の者は、山川巡査部長のほうへ寄つて来て、棒で殴打したり、ところかまわず足で蹴つたり踏んだりする等の暴行を加えた。更に、同人に火炎びんが投げつけられ、炎は身体を包むようにして燃え上つた。

4  被控訴人は、突然自己の左方二〇ないし三〇メートル先の道路上に火炎びんが燃え上り、同所に人が倒れているのを見て同所に走つて行つた(その後の第二行為については後述)。間もなく附近にいた者は、身体ごと山川巡査部長に覆いかぶかつたり、附近に落ちていた警察官の楯をかぶせたり、デモの旗をかぶせたりして消火し、午後五時五五分ころ、自動車で山川巡査部長を病院に運んだが、同人は、脳挫創・クモ膜下出血その他全身に打撲傷・骨折・火傷等を負い、外傷性脳障碍によつて死亡した。その際、被控訴人は、右手に火傷を負つたので、附近の者が消火行為をしている間に同所を離れ、右交差点から五〇ないし六〇メートル北側の安謝橋電機店前附近に移動したが、以上は第一行為から数分間の出来事であつた。

5  右の午後五時五五分ころ、被控訴人は、なお安謝橋電機店前附近路上にいたが、そのころ、仲西ゲート方面にいた警備部隊が応援のため勢理客交差点に到着し、同交差点を警備していた警備部隊と共に過激派集団等に対する強力な検挙活動を開始した。被控訴人は、これを見て、「もつと人道的に扱え。」「犬だ、殺せ。」などと警備部隊に向けて叫んだ。

6  被控訴人は、埼玉県鴻巣市に居住し、染色業を営み、市民運動には参加していたが、過激派集団には所属していなかつた。昭和四六年一一月八日紅型工芸を見学・研究するため沖縄に来て同月一〇日前記大会及びデモ行進に参加したのであるが、被控訴人の身体は、大柄(身長約一八二センチメートル)であり、当日は白色のアノラツクを着て、薄色のズボンをはき、目立つていた。デモ行進が解散された後、午後八時頃宿泊していた玉園荘に帰り、直ちに病院に行つて火傷の治療を受け、翌一一日は釣りをして遊んだが、一二日には渡久地警察署に行つて別の病院の所在を聞き、割れた爪の治療を受けた。そして、同月一六日紅型工房を見学後、午後四時二〇分ころ琉球博物館で陳列品を観ていたところを通常逮捕された。

第二検察官による本件公訴提起の違法性の有無について

一刑事事件において無罪の判決が確定した場合でも、これによつて直ちに検察官による公訴の提起・追行が違法となるということはない。それは、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否・刑罰権の存否について審判を求める意思表示にほかならないから、起訴時又は公訴追行時における検察官の心証は、その性質上判決時における裁判官の心証とは異なるものであつて、起訴時又は公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば検察官には過失がないと解するのが相当であるからである。

したがつて、右のような有罪と認められる嫌疑がなく、有罪判決を期待しうる合理的な理由がないのに、あえて公訴を提起し、これを追行した場合には、検察官に過失があり、違法となるものと解すべきである。

そして、公訴提起時の違法性を判断するについて、有罪と認められる嫌疑の有無は、公訴事実について検討しなければならないが、検察官は、起訴に際し特定した訴因を、その後の審理過程において、公訴事実の同一性の存する範囲内で変更することができるのであるから、原則として公訴事実の同一性の存する範囲内で変更されうる訴因についても、右検討をしなければならないものと解さなければならない。しかし、起訴時の訴因による犯罪行為と、その後変更されうる訴因による別個のそれとに著しい軽重の差があつて、社会的非難の程度が異なり、例えば起訴時の訴因による犯罪行為が重くその後変更されうる訴因によるそれが軽いとして、後者のみであれば検察官が起訴猶予と裁定すべきものであつたり、起訴されても前者に比して審理の程度・期間、宣告される刑罰の種類・量刑に著しい差異がある場合には、右両者が、公訴事実の同一性があるため訴因の変更が許される可能性が存し、変更後の訴因について有罪と認められる犯罪の嫌疑がある場合であつても、起訴時の訴因について有罪と認められる嫌疑がなく、有罪判決を期待しうる合理的な理由がなければ、公訴の提起及びそれに続く公訴の追行については、検察官に過失があり違法となるものと解さなければならない。

二ところで、前記被控訴人に対する起訴状記載の公訴事実は、いわゆる過激派集団と被控訴人との行為が混然と記載してあり、その共謀の態様、その具体的日時・場所、被控訴人の具体的行為等が明確でなかつたが、これらが検察官の刑事第一審第一回公判期日における釈明及び冒頭陳述によつて明らかにされたものである。釈明によると、検察官は、共謀とは、「実行共同正犯である。」とし、被控訴人の具体的実行行為と被控訴人が殺意を生じ意思を連絡した時点とを、「数名の者が山川松三を捕捉し、角材・旗竿で殴打し、足蹴にしているのを認めて、そこで数名の者と共謀して殺意を生じた。」とし、具体的行為としては、「炎の中から炎につつまれている山川松三の肩をつかまえてひきずり出し顔を二度踏みつけ脇腹を一度蹴つた行為である。」として訴因を特定した。したがつて、右釈明は、起訴状記載の公訴事実と一体として訴因を特定・明示したものとの評価を受けることになり、起訴状記載の公訴事実中の「足蹴し」とは、被控訴人以外の者の行為を指したものであつて、共謀は「炎の中から炎に包まれている山川松三の肩をつかまえて引きずり出し」た時点に接着した時点になされたものとされたことになり、結局被控訴人の行為については、路上に倒れていた山川巡査部長に火炎びんが投げられた後に、「炎の中から炎に包まれている山川松三を引きずり出し」た時点以後の行為(第二行為)を訴因としたものであつて、その時点以前の行為(第一行為)は訴因外とされたものである。

本件においては、起訴時の訴因は第二行為であるが、その後の審理過程において、訴因として第一行為を追加することの可否が問題となつたのであるから、本件事件の公訴の提起時の違法性を判断するには、第二行為だけでなく第一行為をも含めて検討しなければならないことになる。

三第二行為が、被控訴人が山川巡査部長に対し加えた踏みつけた行為及び蹴つた行為であると認めうるかのような証拠として、1 平野写真No.15(前掲甲第五〇号証中添付写真15、乙第四三号証中添付写真15、同乙第四五号証中添付写真一一枚目)、2 平野証言(前掲甲第三四号証、第三七号証)、3 宇保供述(前掲乙第二九ないし第三一号証)、宇保証言(前掲甲第五三号証)、4 前川供述(前掲乙第二八号証)、5 鑑定書(前掲甲第二七号証)、6 読売写真(前掲甲第八六号証、乙第四一号証中読売新開掲載写真、乙第四五号証中写真一〇枚目)がある。以下これについて検討する。

1  平野写真No.15

平野写真は、〈証拠〉によると、昭和四六年一一月一五日にはすでに警察に入手され、撮影者の氏名も判明していたところ、その後警察及び高江洲検事によつて証拠価値が検討されていたものである。同写真は、仰向けに倒れている山川巡査部長の右足の方向から撮影されたものであつて、山川巡査部長の右側に炎が上つているため被控訴人の確かな行為はわからないが、被控訴人は、山川巡査部長の左側に位置し、そのそばで右足を上げているところが写されており、そのまま足をおろすと山川巡査部長の左腰部又は腹部に当るのではないかとも思われ、その附近には炎のようなものは右写真では見えないので、被控訴人の右足の上下の行為は消火行為とは言えないのではないかとも思われる。

しかし、平野写真をもつて事実を認定するには、吉川フイルム(前掲甲第一五九号証、検甲第一、第二号証、検証の結果、証人吉川正功の証人調書添付写真)と比較検討する必要がある。吉川フイルムは、山川巡査部長の右頭部方向から左頭部方向に移動しながら撮影したものであつて、平野写真と吉川フイルムに写つている人物、その服装、動き、所持している棒等から見て、時間的に全く同時点であるかどうかは断定しえないにしても、被控訴人の前記手記、供述調書、供述等からすると、被控訴人が足を上下させたのは、数秒の間であつたと認められるので、平野写真と吉川フイルムとは数秒とは違わない時刻に写したものであると認められ、そして、吉川フイルムによると、被控訴人の足は路面及び山川巡査部長の左手附近におろされ、その路面に火が認められるし、足が山川巡査部長の身体に接しているとは認め難いのである。

そして、〈証拠〉によると、本件事件当時普天間警察署の刑事課長をしていた嘉手苅福信は、本件事件発生後捜査主任官となつて本件事件の捜査及びその指揮に当つたものであるところ、吉川フイルムは、事件当日現行犯逮捕した吉川正功から押収し、直ちに本土の警察庁警備局に依頼して現像・焼付がなされたものであつて、昭和四六年一一月末ころか一二月初めころ、沖縄の警察に送り返えさせて来ていたので、嘉手苅福信は、被控訴人の起訴前に、高江洲検事とともに検討したが、吉川フイルムによつて、被控訴人の足は地面に着いていて、山川巡査部長を踏んだり蹴つたりしたものと認定することは不可能か困難であると判断したことが認められる。

また、〈証拠〉によると、高江洲検事は、吉川フイルムを被控訴人の起訴前に警察で検討したが、被控訴人の上下する足が山川巡査部長の身体に当つた場面が写されていないので、被控訴人の犯罪行為を立証する証拠にはならないと判断して、本件公判には証拠調の請求をしなかつたこと、捜査の段階において、当時報道機関は勿論、カメラマンや一般市民は、本件事件の捜査に非協力的であつたので、高江洲検事は、平野写真の撮影者である平野富久、吉川フイルムの撮影者である吉川正功らから事情聴取をしなかつたことが認められる。

そして、〈証拠〉によると、吉川フイルムは刑事第一審における第一五回公判期日に弁護人から証拠調の請求がなされ、証拠調がなされたことが認められる。

そうすると平野写真No.15は、第二行為を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。

2  平野証言

前記認定のとおり、平野富久は、平野写真の撮影者であるが、捜査段階では事情を聴取されず、〈証拠〉によると、刑事第一審第七、第八回各公判期日に証人として尋問を受け、被控訴人や山川巡査部長から三ないし五メートル離れた距離で写真を撮影し、被控訴人が、山川巡査部長を踏みつけるのを見た、平野写真No.15がそのときの写真であり、山川巡査部長の右足の方向から目撃し、撮影した旨証言したことが認められる。しかし、同人は、被控訴人が山川巡査部長を引きずり出した事実については気づいていないし、第七回公判期日の証言と第八回公判期日の証言とを比較すると食い違つている部分がある。

更に、〈証拠〉を総合すると、前田写真(前田写真は、前掲乙第四五号証、原審証人嘉手苅福信及び同高江洲歳満の証言によると昭和四六年一一月二五日にはすでに警察に入手され、その後、警察及び高江洲検事によつて証拠価値が検討されていた。)を撮影した前田孝は、写真業を営むものであるが、被控訴人が山川巡査部長の左側で足を上下させている様子を被控訴人の後方(山川巡査部長の左側ないし頭部側)二ないし三メートル離れた位置で目撃し、写真撮影をしたものであることが認められるところ、同人は、被控訴人が山川巡査部長に対し暴行を加えたものではなく、炎の中から引き出し消火による救助行為をしたものであるとの趣旨の証言をしており、また、吉川正功は、当時フリーのカメラマンで、前記のとおり山川巡査部長の右頭部方向から左頭部方向に移動しつつ、その二ないし三メートル離れた位置から状況を目撃し、写真撮影をしたものであるところ、同人も被控訴人が山川巡査部長に対し暴行を加えたものではなく、消火による救助行為をしたものであるとの趣旨の証言をしており、更に宮城悦二郎は、当時英文字新聞記者であつたが、呉屋写真を撮影した呉屋永幸と共に勢理客交差点で、山川巡査部長の左側から被控訴人の行動を目撃したものであるところ、被控訴人が山川巡査部長を火の中から引きずり出して消火による救助行為をしていたとの趣旨の証言をしている。そして、〈証拠〉によると、前田孝、吉川正功、宮城悦二郎は、山川巡査部長に火炎びんが投げられ、炎が上つたので驚いて同所を注視したことが認められるが、前記認定のとおり被控訴人も炎が上つてから同所にかけつけたのであるから、被控訴人が、山川巡査部長を引きずり出す前後に同人に暴行を加えていたとすれば、右前田孝ら三名のうち誰かがこれを目撃していたであろうと思われるのにその旨供述する者はなく、また、被控訴人が山川巡査部長を引きずり出した後は、同人に暴行を加えた者がいるのを見ている者は右三名のなかにはなく、却つて、右三名の証人とも、附近にいた者はともに前記認定のとおり消火行為をしていたと述べているのである。

尤も、〈証拠〉には、細部については食い違う部分があるけれども、前記認定のような騒然とした状態にあつての目撃であることを考えると、右食い違いの存在のみをもつて、いずれか一を信用し、他を信用せずと切断してしまうわけにはいかない。平野富久、前田孝、吉川正功、宮城悦二郎は、何れも報道関係者、又は、写真家として、目的意識をもつて取材、又は、写真撮影に当つた者であるから、単なる傍観者と異なり事態を比較的正確に把握したであろうと思われるが、薄明現象があつたとはいえ日没後であり、人の動きが激しく、炎の燃え上がる状況のもとでは、目撃者の位置、主観等によつて同一事態を異つたものとして認識するに至つたものであることもやむを得ない。ただ、平野富久は、山川巡査部長の右足の方向から目撃し、しかもそこに炎が上がつていたのであるが、前田孝、吉川正功、宮城悦二郎は、山川巡査部長の左側から頭側の方向で被控訴人の位置していた側から目撃し、そこには、炎はわずかしか燃えていなかつたのであるから、平野富久よりも、より正確に目撃しえたであろうことは容易に考えられることで、平野証言は第二行為を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。

3  宇保供述・宇保証言

〈証拠〉によると、宇保賢二は、本件当日、たまたま勢理客交差点を通りかかつて本件事件を、被控訴人のいたところから約一〇メートル離れたところにある高さ1.70ないし1.80メートルあるブロツク塀の上で、倒れていた山川巡査部長の足の方向から目撃したものである。捜査段階での三回の供述、刑事第一審での証言は、被控訴人の暴行の態様(踏んだか、蹴つたか)、山川巡査部長の暴行を受けた部位(頭か、顔か、腹か)に食い違いはあるが、被控訴人が、右足で、山川巡査部長の頭又は顔及び腹を、数回踏んだり蹴つたりして暴行したという点では一貫していることが認められる。しかし、前記2平野証言の項でも述べたとおり、山川巡査部長の右側には炎が燃え上がつていて、右側ないしは足側から目撃していた者と、左側ないし頭側から目撃していた者とでは異つた見方をしており、薄明現象があつたとはいえその時刻ころにはすでに薄暗く、目的意思をもつて見ていた者の間でも異つた見方をしているのであるから、通りすがりの宇保賢二が傍観者として、一〇メートル離れた位置で山川巡査部長の足の方向から目撃した被控訴人の行為を、それ以前の過激派集団による暴力行為と一連の行為と感じ、混同したのではないかとも推測されるので、右供述や証言は第二行為を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。

4  前川供述

〈証拠〉によると、前川朝春は、宇保賢二の友人で、当日行為を共にし、殆んど宇保賢二と同時刻に、同一場所で目撃したものであるが、山川巡査部長に対して火炎びんが投げられる前の過激派集団の暴行を見ているが、その後については、楯や旗で山川巡査部長を覆つて消火行為をしている様子を見ているのみであることが認められ、被控訴人の具体的行為については供述をしていないので、右供述は第二行為を認めるに足りる証拠ではないといわなければならない。

5  鑑定書

鑑定書によると、山川巡査部長の頭部、顔面、胸腹部に多くの損傷があり、左右の助骨骨折も存在することが認められるが、しかし、前記認定のとおり、山川巡査部長は、火炎びんを投げられる前に、過激派集団によつて捕捉され棒等で殴打され、路上に転倒した状態で更に棒等で殴打され、ところかまわず足で蹴られたり、踏まれたりされており、その間被控訴人も一回足蹴りしているのであつて、山川巡査部長の身体の損傷等はその際に生じたものであることが窺われ、そうでなく、同人が炎の中から引きずり出された後の被傷と断定することは、右鑑定書自体からはできないといわなげればならない。

6  読売写真

読売写真上段は、前掲甲第八九号証によれば、昭和四六年一一月一九日に、被控訴人が、第一行為に関するものであるとして山川巡査部長の腰部附近を足蹴りしたことを認めた写真であつて、第二行為に関するものではなく、同下段の写真は、それ自体から第二行為に関するものと推測されるが、被控訴人の暴力行為の情景は写されていないし、また、吉川正功やすでに検察官に収集されていた前田写真の撮影者前田孝(高江洲検事にその氏名は知らされていなかつたが、右写真を入手した警察官を通じ捜査しえたと推測される。)らから事情を聴取すれば、右写真を撮影したときの状況が判明し、証拠価値がないと判断しえたものであつた。

7  その他の状況証拠等

前記認定のとおり、被控訴人は、与儀公園で、「機動隊粉砕。」「機動隊帰れ。」などと大声で叫んだり、勢理客交差点で「もつと人道的に扱え。」「犬だ、殺せ。」などと叫んでいたものであり、〈証拠〉によると、被控訴人は、当時、警察権力ないし機動隊に対し反感を抱いていたものではあるが、これらは、一般的ないし抽象的な反感にすぎないことが認められ、与儀公園において、過激派集団と共に投石等の過激行動をしたことや、被控訴人が警察権力(特に個々の警察官)に極度の憎しみを抱いていたことを認めるに足りる証拠はないので、右一般的ないし抽象的な警察権力に対する反感から、被控訴人に第二行為のような殺人の実行行為の動機ないし原因があると推認することは困難である。

次に、後記認定のとおりの第一行為がなされているが、右第一行為がなされたことから、第二行為がなされたと推認することも困難である。

また、被控訴人は、市民運動に参加していたが過激派集団に所属していたものではなく、紅型工芸の見学・研究のため沖縄に来ていたものであり、本件後、釣り、紅型工房の見学、博物館での作品観賞等の旅行日程を消化していたこと、大柄であつて、事件当日は白色のアノラツクを着ていて目立つていたことは、前記認定のとおりであつて、たしかに、集団で過激行為に出たり、群衆心理に影響されて行動した者のなかには罪の意識が薄かつたり、自己の目立つことが一時的に意識から消えたりして思わぬ行動に出ることもあるのであるから、被控訴人の本件後の行動や本件当時目立つていたことが前記のとおりであるからといつて、必らずしも殺人の犯意を否定しうるものではないけれども、しかし、全体として被控訴人の行為を検討した場合には、やはり殺人の犯意を肯定する障碍となるとみるべきである。

8  被控訴人の供述の変転

〈証拠〉によると、被控訴人の供述は日時を経て変転していることが認められ、このことから、検察官は有罪と認められる嫌疑があると判断したのではないかとも推測される。

すなわち、右各証拠によると、被控訴人は、捜査の段階で、第一行為の山川巡査部長の腰部附近を一回蹴つた行為をも否認していたが、昭和四六年一一月一九日になつて、読売写真を示されてこれを認めるようになり、第二行為については、当初、助けたいと思つたが着衣に火をかぶつては危険だと思つたので何もすることができず見ているだけだつたと述べ、同月二〇日になつて、手をさしのべて火の中から警察官を助け出そうとしたが、靴の底に火が着いていたし自分自身火をかぶるのではないかと思い、助け出すのを断念したと述べ、同月二一日には、警察官をひつぱり出そうと手を出しかけたが、火の勢が激しく靴の底の火を地面にたたいて消すのに精一杯で助けるのを断念したと述べ、同月二九日には、警察官を引き出して火を消そうと思つたがやむなく断念し、鞍についた火を消し、そのあとで、足で道路と倒れている警察官とに火がついている間を消そうとしたと述べ、自己のための消火行為から山川巡査部長のための消火行為をも述べるようになつた。そして、終始山川巡査部長を助けたいと思つたと述べながら、火の中から山川巡査部長を引きずり出したことは述べられなかつたことが認められる。

そして、〈証拠〉によると、刑事第一審の第一三回公判期日に弁護人の冒頭陳述で初めて、救助のため引きずり出したと述べられたことが認められる。

しかしながら、刑事被疑者が、自己の刑事責任を免れるため、又は、事件とかかわりあいを持つことを避けるため、事実を否認し、あるいは事実を曲げて弁解することがあり、そのため捜査に支障を来たし、困難を伴うことがありうるとしても、現行刑事訴訟法の証拠主義のもとでは、客観的に有罪となしうる証拠の有無を判断して起訴すべきか否かを決すべきであるから、刑事被疑者の供述が右のとおりであれば、なおさら、検察官は慎重に証拠を検討して起訴の適否を判断すべきものであり、供述が変転していることを、第二行為を認めるべき証拠として、採用すべきではなかつたというべきである。

以上検討したとおりであつて、これらの証拠から、被控訴人が山川巡査部長の顔を踏みつけた行為及び脇腹を蹴つた行為を認めることはできず、むしろ、被控訴人は当時山川巡査部長を救助するため炎の中から一、二メートル引きずり出し消火行為をしたものであると認めるのを相当とする。

四次に、第一行為について、検討する。

既に認定したとおり、被控訴人は、山川巡査部長に火炎びんが投げられる前に、勢理客交差点において、過激派集団が山川巡査部長を捕捉して暴行をしていた際、同巡査部長の右腰あたりを右足で一回蹴つた(第一行為)が、これと第二行為とは、同一交差点において、同一被害者に対してなされた極めて短時間内の出来事であつたことは前に認定したとおりである。

読売写真上段は、右第一行為の際に撮影された写真であるが、右写真だけからは、被控訴人が特に激しく足跳りしたと認めることはできないし、却つて、被控訴人の軸足となつている左足が傾き、腰が不安定な状態にあるとみることもでき、他に被控訴人が激しく足蹴りしたことを認めるに足りる証拠はない。そして〈証拠〉によると、被控訴人は、平素警察権力等に一般的な反感を抱いていたが、勢理客交差点で過激派集団が勢理客派出所等へ火炎びんを投げているのを見ていたところ、過激派の者らに山川巡査部長が捕捉され、暴行を加えられながら被控訴人にぶつかるようにして近づいていたので、思わず右足で蹴つたものであることが認められ、被控訴人が個々の警察官に対して反感をもつていたとか、体勢を整えたうえで蹴つたとか、執拗な行為に出た等と認むべき証拠もないので、右行為は、それほど激しいものではなく、少くとも殺意をもつてなされたものではないと認められる。

五そこで、被控訴人が起訴された当時において、有罪判決を期待しうる合理的理由の存在について、高江洲検事のなした証拠の検討及びその評価の適否を考えて見る。

高江洲検事は、収集していた警察官作成の捜査関係書類・供述調書・写真・フィルム・証拠物など多くの証拠を検討し、被控訴人の第二行為について罪体と被控訴人とを関係づける事実を立証するについて、平野写真・読売写真、宇保供述・前川供述が重要な証拠であると判断したものであることは、〈証拠〉から認められるところである。

しかし、平野写真は、前述のとおり高江洲検事が証拠価値を否定した吉川フィルムと比較検討すると証拠価値は減殺されるものであり、更に吉川フィルムの撮影者吉川正功を取調べていればその判断は確実なものとなつたことが推測されるのである。したがつて、高江洲検事が、吉川フィルムの証拠価値を検討しながら、これのみを否定し、平野写真に証拠価値があると判断したり、捜査に非協力的であつたとはいえ吉川正功を取調べることなく平野写真に証拠価値があると判断したのは相当でない。

次に、読売写真は、前述のとおり、その上段写真は、第一行為に関するものであつて、第二行為に関するものではなく、また、下段の写真は、それ自体被控訴人の暴力行為は写されていないし、吉川正功や前田孝らから事情を聴取していれば、右写真を撮影したときの状況が判明し、証拠価値がないと判断しえたのにこれを取り調げることなく、読売写真に証拠価値があると判断したのも相当でない。

また、宇保供述は、前述のとおり宇保賢二が、報道関係者やカメラマンのような目的意識がなく、やゝ離れて山川巡査部長の足の方向から目撃したもので、炎が上つていて見る方向によつて被控訴人の行為を、暴行とも、救助行為ともとりうる状況下であつたのであるから、同人の供述の信ぴよう性を、吉川正功や前回孝らを取り調べることによつて確かめるべきであつたのに、これをしないで、宇保供述に証拠価値があると判断したのも相当でない。

そして、前川供述は、前述のとおり、被控訴人の行為については具体的に供述していないのであるからこれに証拠価値があると判断したのも相当でない。

〈証拠〉によると、被控訴人が逮捕された当時、高江洲検事は、他事件の捜査が一段落し、手抜き捜査をしなければならないほど忙しいことはなかつたことが認められるので、右に述べた程度の参考人等の取調べその他の捜査をすることは可能であつたし、一般市民や報道関係者らが捜査に非協力的であつたことや当時の沖縄の検察実務を考慮しても、同検事に右各捜査をすべきこと及び右各捜査の完了をまつて被控訴人の起訴・不起訴の判断をすべきことを期待しても難きを強いるものということはできない。

高江洲検事が、右捜査をし、収集した証拠について検討し、合理的に判断していれば、被控訴人の第二行為は、同検察官が訴因として特定した公訴事実では殺人罪は勿論、傷害致死罪でも起訴しうる事案ではないことが判断しえたし、したがつて、有罪判決を期待する合理的理由が存したとはいえないのに、その証拠に対する評価、経験則の適用を誤つたものといわなければならない。

六もつとも、第一行為と第二行為とは、被控訴人が安謝橋電機店附近の路上に移動していた数分の間隔があつたとはいえ、同一交差点において、同一被害者に対し、短時間内になされたものであるから、公訴事実の同一性が認められて訴因変更が許される可能性はあつたし、そうすれば傷害致死罪による有罪判決を得る可能性もあつたと認められないではない。

しかし、有罪判決を得る可能性があつたとしても、それは、訴因が第一行為である場合であつて、第二行為ではないのであり、右両者の関係は、従前の第二行為の訴因に第一行為の訴因を追加することにより訴因の範囲を拡張するだけで従前の訴因は維持されているのである。第二行為は、被控訴人自ら、炎の中にある山川巡査部長を引きずり出し顔面部や脇腹附近に三度にわたる残虐な暴行行為をなしたというものであつて、これが殺人行為として評価されているのに対し、第一行為は、たまたま被控訴人に近づいた山川巡査部長の腰部を一回足で蹴つた程度の行為であつて、それが共犯者の行為との関係で傷害致死罪と評価されるにすぎないのであるから、両者に対する評価には重大な差異があり、特に第一行為のみでは検察官の裁量によつては、起訴猶予と裁定されたり、暴行罪として略式命令を請求されることも考えられないではなく、起訴されても審理の程度・期間、宣告される刑罰の種類・量刑は、第二行為のこれらとの間に著しく異るもののあるということができる。したがつて、第一行為について有罪とされたとしても、第二行為についての公訴の提起の適否は、別個に考慮しなければならないものである。

結局、第二行為を訴因としてなされた本件公訴の提起は、検察官の過失により違法であつたといわなければならない。

第三検察官による本件公訴追行の違法性の有無について

一公訴の提起が違法な場合は、原則として公訴の追行も違法となるが、例外的にその後の公訴の追行過程において、新たな証拠が収集され、有罪判決を期待しうる合理的な理由が具備される場合がありうるのであり、このような場合には、たとえ後に無罪の判決が確定したとしても、新証拠が収集されたのちは公訴の追行が違法であつたと解すべきではない反面、公訴の追行過程に右のような事情が認められない場合には右公訴の追行は違法であると解さなければならない。

二そこで、まず本件刑事被告事件における審理過程について検討する。

〈証拠〉によると、次の事実を認めることができる。

本件刑事被告事件においては、第二行為と目されるものが、検察官の主張する殺人の実行行為であるか、弁護人らの主張する救助行為であるかに争点を絞つて審理されたが、刑事第一審において、被控訴人と罪体とを関係づける主たる証拠及びこれを争う主たる証拠として、第七、第八回公判期日において証人平野富久(平野証言)の、第一〇回公判期日において平野写真の、第一一回公判期日において証人宇保賢二(宇保証言)の各証拠調がなされ、第一二回公判期日をもつて、一応警察官申請の証拠調の段階を終了し、第一三回公判期日から弁護人申請の証拠調の段階に入り、第一四回公判期日に証人前田孝(前田証言)の、第一五回公判期日に吉川フィルム、証人吉川正功(吉川証言)、同宮城悦二郎(宮城証言)の、第一七回公判期日に前田写真の各証拠調がなされ、更に、第一八回公判期日に検察官の申請で、読売写真の、第一九回公判期日に弁護人の申請で呉屋写真の証拠調がなされたうえ、第二〇回公判期日に弁論が終結され、第二一回公判期日に判決の言渡がされた。公訴の追行は、第一回公判期日以降主として高江洲検事によつてなされ、昭和四九年四月一五日の第一四回公判期日以降は神崎武法検事によつてなされた。

また、刑事控訴審においては、被控訴人と罪体とを関係づける新たな証拠調はなされず、昭和五一年一月二八日の第六回公判期日で弁論が終結され、同年四月五日無罪の判決の言渡がなされた。

三ところで、刑事第一審で取り調べた平野写真は、検察官が被控訴人を起訴した当時、すでに収集していたものであり、検察官から申請された新たな証拠方法としては平野証言及び宇保証言のみであつたといえるが、平野証言は、平野写真が存在していたことからすると、予想されたことを証言したものであり、宇保証言は、すでに検察官において収集していた宇保供述に副う証言をしたものであつて、何れも実質的には新たな証拠ということはできない。しかも、先に述べたとおり、すでに検察官が収集していた吉川フィルム等と比較検討すると、その証拠価値は減殺され、ほかに新たな証拠はないのであり、検察官が訴因として特定した公訴事実については、右各証拠を考慮に入れても、やはり、被控訴人に有罪判決を期待することは困難であつたものといわなければならない。

四上述したところによつて考えると、本件公訴の提起は違法であつて第二行為について有罪判決を期待しうる合理的な理由はなく、公訴の追行過程においてもこれを期待しうる新たな証拠の収集はなされなかつたのであるから、第二行為についての違法な公訴の提起は、これに続く公訴の追行過程において有罪判決を期待しうる合理的な理由が例外的に具備される場合には至らなかつたものとして、結局本件公訴の追行も違法であつたといわなければならない。

第四控訴人の責任、被控訴人の損害及び謝罪広告の掲載請求についての当裁判所の事実認定及び判断は、原判決の理由説示四、五及び六と同一(ただし、原判決三九枚目表九・一〇行目の「本件無罪判決の確定により刑事補償として金四三万九一〇〇円を支給されたこと」とあるのを削除する。)であるからこれを引用する。

第五そうすると、被控訴人の本訴請求は、原判決が金員の支払を命じた限度で理由があるからその限度で認容し、その余は失当であるからこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当である。

よつて、本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九二条に従い、主文のとおり判決する。

(倉田卓次 下郡山信夫 大島崇志)

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